茶事で使った道具類もようやく全て片付け終わり、やっと落ち着きました😊
さて最近は茶箱に興味をもって調べております。
以前、年上の友人から譲り受けた書籍の中に茶箱に関するものもあり、大変興味深く読んでおります📖
1997年の淡交増刊号です。
マイ茶箱を作る。贅沢ですね。もう金持ちの道楽に思えてきます。
自分の気に入った道具を何年も掛けて見つけて組み合わせていく。
たたそれだけなのですが、目移りしてしまいます。それに一つだけでも良いお道具に出会ってしまったとき、手が出てしまわないとも限らない。
しかしほかの道具をそれと合うように揃えるとなると、また困難な道程が待っている。
でも人生の最後の方はお気に入りの茶箱だけを傍に置いて過ごすなんてのも、想像するだけでも良いものですねぇ。
なぜ茶箱に興味をもっているかといいますと、お社中の方から、春になったら先生を招いて茶箱でおもてなししたいと話をききまして。
元々の話は、それぞれ持ち回りで茶事をしなさいという先生の言葉から、家にはお招きできないので茶箱で野点で…とお話が盛り上がったのです。
そこで、茶事のように考えてる?濃茶どうする?
と、私の頭の中でんんん!?となったわけです。
何故かというと、裏千家の茶箱点前は薄茶しかないからです。
でも利休さんも野点で濃茶してますしね。
利休の茶弁当とかいわれていた茶箱のことですね。
それに、益田鈍翁の茶箱会では数寄者の方々がご自慢の茶箱で濃茶薄茶を披露しております。
濃茶用には小茶入を仕組んでいるものもあります。
私達の習う、小習の中には濃茶に棗を使うものもあります。
そう考えると茶箱で濃茶もできないことはないですよね。他流では茶箱で濃茶を出すところもあるようですし。
まあ他にも考えなければならない問題はありますので…。
先生を招いて、茶箱で濃茶薄茶というのは、なかなかハードルが高そうです、精神的な意味でも😅