昨日、本棚から岡倉天心の「茶の本」を出してきて、久しぶりに読みかえしております。
内容はもう殆ど忘れていたでしょうか。
物の真の本質は空虚にのみ存在する。
部屋の実質は屋根と壁で囲まれた空虚な空間に見いだされるのであって、屋根と壁そのものにではない。水差の効用は、水を容れる空所にあるのであって、水差の形状やその材質にあるのではない。
「虚」は一切を含有さる故に万能である。
マンションの一室で茶の真似事をしている身としては、心強いようであり、また知足という言葉も思い起こさせるものでもあり。
「私は所詮、無い者のお茶で」と口には出していても、なかなか覚悟のいることのようで。
以前読んだときには深く想うこともなかったけれど、今はとても心に引っかかる言葉でした。